タントラとは 

2016年01月30日

こんにちは。

1月も後半にさしかかろうとしています。日本の寒さは厳しいころでしょうか?

さてこちらインドでのアシュラム生活はいつも通り進んでいます。朝のマッサージやアーサナ、昼のアーサナ、夜のレクチャーやプジャなど盛りだくさんです。私はと言えば、クラスに参加 したり教えたり、また、アシュラムのお手伝いをしたりしながら暮らしています。アシュラムは自然の中に位置しているので、蟻や蛙はもちろんのこといろいろな生き物がいます。私の部屋は蟻の通行路になっています。この前は、ある女の子が自分の部屋に戻ってドアを開けると、なんと猿がベッドの上に座っていたそうです。鍵のかかっていなかった窓から入ってきたようです。こりゃビックリです!

さてさて、ヨガを最近始めた方も、長らく行っている方も、 学べば学ぶほどヨガの深さと自分の深さに気づかれていると思います。自分の深さを発見するということは、その深さが他の人にも備わっているということであ り、あらゆる生命の意義を理解してそれを活かしてゆくことをヨガは教えてくれます。Shri Kali Ashram は古典的なタントラ哲学に基づいた伝統的体系を学べるところで、そのうちの実践の一つとして一般的にヨガと言われているアーサナの練習があります。タントラとは何かということは、なかなか簡単には答えられないものですが、いろいろな視点から述べられます。Shri Kali Ashram のウェブサイト(http://www.shrikali.org/tantra.php)の以下の抜粋では次のように定義されています。日本語訳も記しておきました。

Many see Tantra as offering the only way to free us from the limitations of narcissism and isolation that besiege urban existence. There are several reasons for this. One is that however we attempt to harmonize ourselves, there is always the problem of harmonizing from a relative, ‘I-centered’ perspective. This is the nature of an uncultured identity.

Traditionalists believe that instead of grappling with this, it is actually important to ignore it. They provide other avenues for dealing with the self. Having a spiritual identity dissolves many problems of narcissism and the uncultured identity. We learn to relinquish all limitations (for instance, identity as a male or a female, or according to race or geographical location) and express ourselves as a wholesome self. This is the age-old reason for going through the process of initiation in the spiritual traditions. A spiritual identity frees our minds from identifying with a little self. This frees us from the little mind and enables us to express our Divine self. This identifying with the little self is known as the ego. With the vanishing of the little self, life itself offers abundance. There is an old saying which highlights this, “A carpenter sees the species of wood while a child sees a wooden toy.” If we drop our tie-ups with our egohood we can see as a spiritualist, outside the limitations of the subjective self. This is the goal of Tantra.

Therefore, one who is spiritually mature sees the whole world of people as extensions of themselves. This forms the foundation for true love. This culture of love enriches us and frees us from the traps of fear that makes us scavenge for security and safety and limits us from expressing a positive existence. This can only be overcome by spiritualism, especially Tantricism.

訳すと以下のようになります。

多くの人々は、タントラが都会化された存在を包囲しているナルシズムや孤立という限界から私達を自由にしてくれる唯一の道を提供すると見ている。これにはいくつか理由がある。その一つには、私達がどんなに調和を保とうとしても、自己中心的で相対的な観点から調和しようとする問題が常にある。これは、養われていないアイデンティティという私達の性癖による。

伝統的主義者は、このような相対的な観点を掴むかわりに、それを無視することが重要である と信じている。彼らは、自己を扱うにあたって別の道を提供している。精神的なアイデンティティを持つことによって、ナルシズムや養われていないアイデン ティティーといった問題を解決する。私達は、全ての限界(例えば、性別、人種、国柄など)を捨て、健全な自己として表現することを学ぶ。これは、精神的な伝統における伝授の過程を通して行われる古代からの理由である。精神的なアイデンティティーは、小さな自己と同一視する私達の心を解放してくれる。これによって、私達は小さな心から解放され、神という自己を表現することができる。自分を小さな自己と同一視することはエゴとして知られている。小さな自己が消滅すると人生そのものが豊かになる。「カーペンターは木の種類を見て、子供は木の玩具を見る。」と古くから言われている。「エゴへの縛りを捨てると、私達 は精神主義者、つまり主観的自己の限界の外にあるものを見ることができる。これがタントラのゴールである。

よって、精神的に成熟している者は、世界中の人々が自己の延長であると見る。このことが本当の愛のための根底を形成する。このような愛の教養は、私達を豊かにし、安全をあさったり、ポジティヴな存在の表現を制限するような恐れという罠から解放してくれる。これは、スピリチュアリズム、特にタントリシズムによって克服されることができる。

人は、自己を解放しよう、周りと調和しようとして生きるけれども、そこには常に自己の相対的な視点が含まれています。その相対的視点は、自分の性別や人種や職業などに制限されています。私達は、このようなカテゴリーで人生を歩むこと強いられています、またはそういうものだと思い込んで生きています。例えば、 青い眼鏡をかけると世界は青く見えて、赤い眼鏡をかけると世界は赤く見えます。だから、主観的な視点でスピリチュアリティを観察すると、自分の主観という立場から一歩も出ることができず、それは本来的なスピリチュアリズムとは言えません。その主観には、親の教育や考え方、学校の教育、国柄、土地柄など様々な要素が含まれているからです。でも、そのようなものは絶対ではなく相対であって、永遠に変わらない真理ではありません。だから、タントラでは自己を制限するようなものを捨てます。なぜなら、これらは小さな自己(エゴ)であって本来的な自己に導いてくれないからです。性別、国籍、学校名、会社名、職業柄、 土地柄などありとあらゆる自分を装飾しているものを落としたと想像してみてください。そして、そこに残っているものは何だろう。それは、いろいろな言葉で述べられると思います。ありのままの自己、純粋な自己、原点、神聖さ、実存、無条件の愛などなど。

不要なものを取り除くと人は以下のように 世の中を観察することができ、新たな人生が展開します:”Therefore, one who is spiritually mature sees the whole world of people as existence of themselves. This forms the foundation of true love. “ 世の中全てが自分の延長であり、このことが本当の愛の基礎を築く。

自己を制限するものを取り除いて純粋な自己に回帰する。奥義を極めましょう。それが、タントラです。

うまく進む時もあれば、そうではない時もあります。まあいいじゃないですか。そんな時はチャイでも飲んでゆっくりしましょう。ところで、私はただいまアーユ ルヴェーダのパンチャカルマというトリートメントの一つである Nasyam(鼻にオイルを落とす)を1週間行っているので、カフェイン&ミルクフリー生活です。濃厚なチャイが恋しいものです。

朋子