日本の精神文化に基づいてヨガをすると、気づくことがたくさんあります。

日本の精神文化

2016年11月07日

私達は、日本人として持つべき素晴らしい精神性を忘れてしまいました。経済発展を追いかけるあまり、伝統的な日本の精神文化は古典的なものであるとして軽視してきました。確かに、この傾向は見直されています。私は、このヨガアーサナと哲学が人間の本質を忘れてしまった日本人に不可欠であると実感し、シュリカリのヨガを広めてゆくことを決意しました。

経済至上主義という概念もしかりですが、私達は西洋至上主義に陥っています。私達は西洋から輸入されてきたものに飛びつきます。日本の女性達は、理想像とするようなアメリカのお姉さんがヨガをやっている姿に憧れます。私達はアメリカ人になれません。なる必要はまったくありません。メディアの西洋情報に踊らされています。その情報には本当に真実があるのでしょうか。

ヨガの概念はここ日本にあります。タントラの概念もここ日本にあります。

私達の国は、仏教と神道で成り立っています。それは本当に深遠な哲学です。それなのに、ヨガを学ぶ時に私達はその全体性をとらえずに、現代的ヨガという部分的観点から学んでいます。たとえば、手指である形をつくるムドラーやヨガ教室でよく唱えられているオーム。これだけにとらわれてはなりません。この部分的な観点を超越して下さい。日本に古代から存在している無数のムドラーやオームという概念、これを観察してみて下さい。そこには、現代的なヨガの観点では説明しきれない智慧があります。

部分的な観点では、本来的な宇宙の仕組みを学ぶことができません。なぜ、ちっぽけに見える人間が宇宙の仕組みを学ばなければならないのでしょうか。宇宙の仕組みは私達人間そのものです。全体を把握することによって自己を把握することができます。昔の俳句や短歌に触れてみてください。歌人達は宇宙を詠ってきました。そこに日本人の美しい精神があります。自己を宇宙の中でとらえることです。

ヨガを通して開発しているのは、仏の心です。私達は仏という概念を理解できます。生まれ育った国の伝統的精神文化を通してヨガを学んでゆきましょう。