2013年9月 高野山ヨガ合宿

2013年09月22日

今年も高野山ヨガリトリートが終了しました。

たくさんのみなさんにご参加いただき、ありがとうございました。みんなからのメールや、FBへの投稿写真やコメントを見ながら泣けてきました。

私が、みんなから頂いているもの、大きすぎます。

もともと、自分が体験したシュリカリアシュラムでの感動を伝えたくて、みんなに「ねえ、聞いてよ!」「このヨガやってみてよ!」そういう思いが始まりでした。このヨガを、とにかく試してほしかった。シュリカリのグルの教えをとにかく聞いてほしかった。

そして、今、有り難いことにいろいろな場面で伝えることができるようになりました。でも、結局、私はみんなから計り知れない何かを得ています。伝えたことがその何倍にもなって私のところに返ってきます。そんなことを改めて感じさせられた高野山リトリートでした。

私は「広義」でのヨガを伝えてたいと思っています。ヨガアーサナにこだわらずに、ヨガを大きく丸く捉えてほしい。だから、アーサナを完成させようというより、ただ、ただ、ひたむきに、ヨガアーサナで流れてほしい。

私の師匠はこう言います。「みんなにヨガをさせてあげなさい。」彼の言う「ヨガ」この言葉の本当の意味は広大無辺。

彼の言う「ヨガ」を伝えようとしながらも、その本当の意味について、私は、みんなから教えてもらっています。自分の中に閉じ込めずに、言葉で体で表現して伝えることで、返ってくるものはとても大きい。その大きくなったものを糧にまた一歩進むと、もっと大きなものが返ってくる。そのキャッチボールがたまらなく幸せ。

このヨガを追究して勉強して先生になってゆく人もいる。追究なんて気にしないが体で感じて感動してくれる人もいる。週一回の健康時間として楽しむ人もいる。どんな理由だっていい。ヨガはパフォーマンスには注目しない。注目しているのはその人の生き方。偽りない生き方。本当の自分に沿った生き方。

私は「ヨガインストラクター」という意識は全くありません。便宜上「ヨガの先生」といったところでしょうか。でも、私はヨガの先生として生きていくのではなく、中口朋子としてヨガを伝えていくこと、それが自分らしさ「ダルマ」に近づくことだと思います。

最後に、

私は、ついつい「このヨガ」と言ってしまいますが、それはどのヨガでもいいのかもしれない。でも、私がこのヨガを伝える師匠と出会ったのは偶然でもあり必然でもあるから、「このヨガ」と言及するのは大目に見て下さい。