「幻に関するタントラの観点」

2019年12月23日

アシュラムのSNSにアップされたものを訳します。

Myth(神話・作り話・社会的通念という意味。ここでは、幻と訳す)は人生を避けることにつながる。それが何かをしっかりと理解していなければ、人は妄想し固執し中毒になってしまい、人生や生活を避け、生きることに対する恐れを抱いてしまう。ここでいう幻とは、心理学的な概念であって神話のことではない。幻とは、人生に対する私たちの理解や経験を歪めることになる一連の嘘の信念である。それはノイローゼである。健康的な観点から人生を表現している自分ではない。ペルシアの詩人はこのように描写している。

(ハーフィズの詩の訳は詩集でご覧下さい。)

ハーフィズは、幻というアイデアを描写するためにこの詩を書いた。幻は人を捕まえて、生きている間ずっとつきまとう、まるで影のように。つまり人を収監する。自分で幻を落とすことは簡単ではない。ハーフィズにとって、幻とは完全な自由の喪失を意味している。それによって、人は人生を最大限に活かすことを避け、イルージョンを経験したくなる。それは、ハーフィズが明確に述べているようにとても悲しい苦境である。

幻の中で生きている悲しみから抜けることは、タントラで必然的なことである。どれだけたくさんのテクニックや専門用語を使っても、幻によって刻まれた過失から解き放たれることはない。幻によって苦しめられると、人は健全な経験をできない。つまり、人は、選択的な学びをしたり(それは単なる知的主義)選択的な思考回路を持つ。その結果、選んで聞き選んで学ぶことによって、健全な心の形成を避ける。幻は、タントラの情報を統合することを避け、頭でっかちになって人生を生きることを避ける。これによって、うぬぼれたり、内側の強さに欠けたり、パワーという幻で生きることになる。人は、人間として統合されていないので、自信を持つ代わりにうぬぼれを持つ。自信とは、智慧を実践することで生まれる。自信とは、ただ知っているだけではなく、智慧を深い経験として統合していることである。これが、概してタントラが教えるところである。その教えは、仏教のタントラ(密教)と似ている。智慧を実践する中で、人は自己をマスターし本当のセレブリティ(高名な者)となる。

嘘のセレブリティは無知のグループに囲まれて生きている。人は本当の実践に自分を浸さなければならない、単に話すだけではく。本物のグルはあなたが欲しているものを渡すわけではない。グルは、人間の問題を扱うのではなく本当の人間に対応する。本物のグルと共にいるという経験は人の人生をより良くしてくれる。本物のグルは、人をなぐさめたり楽しませたりするためにいるのではない。彼らは、人を変えるためにいる。シュリカリアシュラムはタントラリック・トランスフォーメーション(タントラ的な変化)の確かな場所である。

by Bhagavan Shri Shanmukha Anantha Natha

訳:中口朋子